2007年12月31日

デッドロックの国会と党首会談

福田総理とねじれ打開策

9月26日、福田康夫氏は総理大臣に就任する。
総裁選は反小泉、反安倍、反麻生でまとまっていたが、内閣は小泉路線の支持者と反支持者が福田氏を支持する不安定で微妙な土台の上に乗って動き出した。頼みの綱は小泉路線の支持で得た衆議院の3分の2の議席だが、安倍内閣が惨敗した夏の参院選のツケは残ったままである。

首相が安倍晋三氏から福田康夫氏に変わっても、衆参のねじれ現象で生まれた与党と野党のデッドロック状態が解消されるわけではない。しかも与党が参議院で過半数をとらない限りこれは続く。
次回2010年の参院選で改選される議席数は121議席。与党の改選議席数は自民党46、公明党11の57議席で、対する民主党の改選議席は49議席である。与党が非改選議席と合わせ過半数となるのに必要な議席は76だが、民主党は62議席を獲得すれば単独で過半数になる。与党は、2001年の小泉内閣のもとで獲得した78議席を狙えないと過半数をとれない。次回参院選がだめなら2013年までねじれ現象は続くことになる。
一方、民主党は次回衆院選で第一党になれば政権政党となることができる状況だ。

見え始めた布石

9月26日、山崎拓元副総裁は千葉市の講演で基礎年金の国庫負担の財源について、「消費税で支える以外にないので、これは大連立以外ではできない。消費税を結節点として大連立もあり得る」と、民主党との連立の可能性を語る。
10月18日、中曽根元首相は都内のホテルの講演で「ねじれ現象は少なくとも6年は続く。大連立こそが現状を打破する道だ。民主党は大連立に反対するが、何が国益かを話し合うことが必要だ」と自民党と民主党による大連立の実現を促す。さらに10月20日、新潟県湯沢町のホテルの講演で、「いずれ衆院解散、総選挙がある。その後は大連立をやるべきだ」とねじれ現象解消のための大連立の必要性を続けざまに強調した。党首会談前日の10月30日、森喜朗元首相は大阪市での講演で「日本の政治が変わるかもしれない」と語る。

しかし、サマワの陸上自衛隊の活動と比べ、重要だが地道な兵站活動はマスコミ受けしない。安倍首相が固執したテロ特措法とその論議は、期限が切れる前こそ政党間の駆け引きとして報道されたが、インド洋から補給艦「ときわ」と護衛艦「きりさめ」が帰還したあとはニュースとして登場することはほとんどなくなった。

福田首相の毒まんじゅう

10月29日、福田首相は国対委員長経由で「新テロ対策特別措置法案をはじめ、国益に関する事項で合意を得るべく話し合いたい」と申し入れ、大島理森自民党国対委員長、山岡賢次民主党国対委員長が30日午前に党首会談を2時間行うことで合意する。会談は、伊吹文明、鳩山由紀夫両幹事長と大島、山岡両国対委員長が同席し、その後両党首だけで会談する予定で決まった。
当初、小沢党首は自民党との協議には原則応じず、国会で論戦する姿勢だったが、「首相からの申し出なので受けざるを得ない」と態度を変え党首会談が実現する。この会談のため、31日に予定されていた国会での党首討論は延期となった。

10月30日午前。約2時間20分間の党首会談が行われる。冒頭10分間は伊吹文明、鳩山由紀夫両幹事長と大島、山岡両国対委員長が同席。その後、党首2人きりで45分程度会談、最後に両幹事長を交えてこの日の会談内容を確認した。
会談後、小沢党首は記者団に「年金などいろんなことについて意見交換した。解散・総選挙の話はしていない」と説明し、福田首相は記者団に対し「民主党は協力政党だと信じている。そのことを小沢氏の全身から感じた」と期待感を表明した。
最後まで党首会談の内容について、議論されたこと、合意できたことは明らかにならなかったが、両氏とも会談の結果については満足しているように見えた。

霧に包まれる党首会談

会談の内容を報道しようとマスコミはやっ気になるが、会談を行った両氏からは「政治情勢など一般的なことの意見交換」「昔話も含めたいろんな話」など、いかにも「たいした内容ではない」といわんばかりの話しか得られない。周辺から情報を集めるしかない状態だが事情通を見極めることは難しく、取材を重ねても不正確で断片的な情報しか手に入らない。

会談内容について、首相は11月1日に期限切れとなる給油活動継続の重要性を説き、新法案の今国会成立に協力を要請。これに対し、小沢党首は、一般論としての協力や良しとするが、特措法案については従来通り国連の活動の枠内でしか許されないと主張。さらに首相の、逆転国会運営のため与野党間や政府・野党間の協議機関の設置についても提案を、「原理原則があるので曲げることはできない」と拒否したと報道されたが、ニュースソースが当事者でないことは明らかで、依然、会談の内容は明らかにならない。

小沢党首は党役員会でも「新テロ法案をめぐって首相や政府与党に動揺がある」「大連立、解散総選挙、国会の会期延長など政治的話は一切なかった」と会談のあらましを説明する。しかし、自民、民主両党からは会談の目的について「45分も密室にいて世間話ではあるまい」「民主党を攻撃するための謀略か」といぶかしむ声がでて、衆院解散総選挙の時期の調整、大連立などの憶測が飛び交うこととなった。ある民主党幹部は「大連立が話題になるだけで民主党は打撃を受ける」と語り不快感を表明、別の民主党幹部は小沢党首は「大連立に向けた布石」は拒否すると語った。
福田首相も、公明党の太田昭宏代表に「解散についてはご心配なく」と伝えたが、大連立となれば存在が危うくなる公明党は密室での会談に不信感を拭えない。逆に連立相手の公明党より小沢党首との会談に重きを置いた動きをみて、何か大きな決定が行われる事態を予感させる結果となる。
しかし、福田首相が夜に記者団から「大連立も排除しないのか」と聞かれ、明確に否定せず返答をぼかしたことで大連立への可能性が信憑性を増す。

フィクサーの影、次第に

党首会談には自民、公明、民主党の与野党双方に警戒感や戸惑いがあった。30日朝に開かれた自公幹事長会談では、福田首相が剛腕小沢党首に引きずられる懸念が話題になった。同じ朝に開かれた臨時役員会では、伊吹文明幹事長が会談に至った経緯を説明し、小沢氏が特措法成立と引き換えに解散・総選挙を迫っても受けないこと、自民、民主両党の大連立を持ちかけられても乗らないことの2点について首相にクギを刺したことを明らかにする。さらに公明党の北側一雄幹事長にも「国益と特措法案に限って小沢氏と話す」と説明をする。
民主党でも会談を取りまとめた本人の山岡国対委員長が、急な党首会談開催への戸惑いを語った。

31日昼、武部勤元幹事長は選挙塾「新しい風」の例会で党首会談に関し、「与野党共通の認識で政治運営がなされる可能性が出た。大連立も考えられる」と、自民、民主両党による大連立にもあり得るとの見方を示した。
一方、町村信孝官房長官は午前の定例会見で、党首会談を受けて自民党と民主党の「大連立」の思惑が取りざたされていることについて、大連立を行っているドイツとの選挙制度を指摘。政治構造、成り立ちが違う日本で「まさかの可能性」の大連立への思惑を牽制する。公明党の北側一雄幹事長も記者会見で、党首会談でも大連立の憶測を牽制した。

産経の31日付記事に、「大連立構想の旗振り役となったのは参院選後に読売新聞の渡辺恒雄・グループ本社代表取締役会長だ。自民、民主両党の幹部らに『自民、民主で大連立を組み、憲法や社会保障改革などを一気に進めた上で中選挙区制に戻すべきだ』と力説して回ったとされる。これと連動し、中川、山崎両氏のほか、古賀誠選対委員長、武部勤元幹事長、中曽根康弘元首相らも相次いで大連立構想に言及した。渡辺氏は福田政権樹立にも一役買っており、首相も『選択肢の一つ』と考えている節がある。」と読売新聞グループ本社代表取締役会長で主筆の渡辺恒雄氏が登場する。
「政局は風雲急を告げている。同じ考えの人がそれぞれ違う党にいる。ねじれをどう解消していくか。両党首が話をして、ねじれ解消につながっていくことを切に願う」と中川秀直元幹事長が講演で意味深長に語った言葉を捉えたのも産経だった。

そして11月2日。党首会談が再び開かれることになった。
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2007年12月24日

総裁選と旧主派の台頭

「麻生クーデター説」と「福田某略説」

9月15日、総裁選がスタートし、福田氏、麻生氏とも選挙対策本部を設置し選挙運動をはじめる。フライング気味で総裁選を戦おうとした麻生陣営に対し、まず支持を決め後付けで理由を揃える格好になった福田陣営は、8つの派閥の支持を取り付けたことでかつての派閥談合による総裁選に戻ったという印象が拭えない。圧倒的に有利な福田陣営だが「圧勝ムード」を払拭するため各派幹部と連絡を取り引き締めを図る。麻生陣営は街頭演説活動を進め、県連の党員投票で民意を集め国会議員票に影響を与えようとする作戦をとる。16日には、ネットでローゼン麻生とも呼ばれる麻生氏は秋葉原に登場し、駅前ロータリーは演説開始前から盛り上がった。

17日には国会議員の213人が福田氏支持を明言した。194票が過半数の議員票で213人は圧倒的である。しかし、片山さつき氏をはじめとする福田氏を支援する若手議員が総裁選直前から流した「麻生・与謝野クーデター説」に対して18日の午後記者会見を開いた与謝野氏は「自民党の将来をかけた総裁選なので、品格のある総裁選をやってほしい。私心なく首相の意図を遂行するのが官房長官の役割。官房長官としての則を超えたことはない。心ない人の宣伝を嘆く」と不快感を示す。さらに、安倍首相自身が麻生氏の「クーデター説」を否定し、麻生氏も、10日から2度にわたって安倍首相の辞意を慰留した経過を日本記者クラブ主催の討論会で明らかにする。これにより、「クーデター説」は逆に「福田某略説」が信憑性を帯びてくる。

出馬宣言前から、町村派、津島派、丹羽・古賀派、山崎派、伊吹派、高村派、二階派、谷垣派の8派閥と69人の無派閥の圧倒的な支持を得た福田陣営だったが、伊吹派や、出馬断念に追い込まれた額賀福志郎財務相がいる津島派から麻生氏支持に態度を変える議員が出はじめる。麻生陣営は選対本部長を務めた津島派の鳩山法相、伊吹派の中川昭一元政調会長、山崎派の甘利明経済産業相、麻生氏の推薦人に名を連ねた古賀派の菅義偉前総務相が支持を得るために奔走したが、それでも福田氏支持の議員票は280票に達すると見られ、議員票だけで過半数を獲得するのは確実と思われた。

都道府県連を抑えられない党本部

両院議員総会の投票を前に、福岡県連、茨城県連が麻生氏に3票を投じることを決めるなど、候補者への支持を表明する都道府県連が現れはじめる。21日、党本部は都道府県連が持つ3票を両院議員総会の投開票前に公表することを禁止する通達をだす。これに対して一部の県連が「県連の独立を侵すもの」と反発する。
党本部に対して「県連の結果に左右されるならその国会議員が悪い」「地方から影響を与えるためにこそ公表すべき」「普通の選挙でも指示や推薦を表明するのは当たり前」と指摘する県連幹事長、県連会長も現れ反発から役員一任で麻生氏に3票を投じる県連も現れた。一方、「組織の一員として党本部の指示を遵守すべき」という京都府連、公表の是非が議論になる県連、本部から直接注意を受け事前公表を控える県連など、ゴタゴタは都道府県連に波及する。

23日午後。両院議員総会で党所属国会議員と各都道府県連代表者による投票と開票を行い、自民党総裁選は、福田康夫元官房長官が投票総数528票のうち、議員254票地方76票の330票を得て勝利する。

総裁選圧倒勝利の意味

福田氏には麻生氏に圧倒的な差を付けて勝利する必要があった。
小泉内閣の官房長官当時、表向きは年金未納で職を退いた福田氏だが、背景には帰国した拉致被害者の扱いで当時の安倍晋太郎官房副長官との対立があった。当初の北朝鮮との「約束」により拉致被害者を一旦北朝鮮に返すかどうかで、対話重視の福田官房長官の姿勢は北朝鮮よりと批判され、北朝鮮に戻すことに猛反発した安倍官房副長官の意見を小泉首相が取り上げたことは敗北であった。そして18歳も年下の安倍晋三氏は小泉内閣を引き継ぐことになる。
安倍路線の継承となる麻生氏を圧倒的な得票で叩きのめし、安倍首相の「戦後レジュームからの脱却」の否定することこそが総裁選の本当の狙いだった。

しかし大差をつけられた投票と見えるが、麻生氏が獲得した197票のうちの議員票は132票。麻生派16人以外の116票の上積みは、麻生氏への議員票を2桁に抑え麻生氏に引導を渡すと豪語していた福田陣営にとっては衝撃だった。麻生派以外の全派閥の支持を取り付け盤石の大勢で選挙に臨んだはずだったが、安倍・麻生両氏との確執は隠しおおせなかった。さらに派閥政治への警鐘を鳴らし若手議員を説いて回った麻生氏の推薦人となった古賀派の菅義偉前総務相の切り崩しにあい、100票近い議員票を福田批判票として取りこぼす結果になった。
この結果麻生氏は、この総裁選で獲得した議員票を足がかりに麻生派の拡大とポスト福田をうかがえる立場を築くことができたのである。福田康夫を第22代総裁に選出したの自民党両院議員総会終了直後、麻生氏に握手を求めに追いかけた福田氏に応えず麻生氏は演壇を降りる。

25日、第91代の首相に国会で指名され首相となった福田康夫氏は、「背水の陣内閣」と命名する。挙党態勢のイメージ作りのために、総裁選を争った麻生氏に入閣を再三要請するが拒みつづけられる。ついには首班指名の衆院本会議場を出た直後の午後1時半、すれ違った麻生氏に入閣を頼むが最後まで麻生氏は受け入れなかった。麻生氏から再任を求められた津島派の鳩山邦夫法相と山崎派の甘利明経済産業相を再任するが、これにより結果的に麻生氏の影響を受けた人事を行う形になった。そして「背水の陣内閣」は大半が留任と横滑りの人事となる。

55年体制への復古

安倍首相の突然の辞任で混乱した政局は福田氏の総裁選勝利で一段落したが、福田内閣の組閣で表に現れたものが、小泉・安倍政権の元で冷や飯を食わされていた面々が、今までの復讐でもあるかのように声高に主張を通しはじめたことである。

24日の党役員人事で、総務会長就任を古賀誠氏に求められた古賀氏は拒絶する。古賀氏が求めたポストは選挙対策委員長の新設だった。従来は幹事長の下の総務局長が幹事長の指示に従って選挙実務を行っていた。この公認権を握る総務局長役を格上げした選挙対策委員長を古賀氏は要求したのである。
小泉内閣の郵政選挙では郵政民営化に反対する議員は公認から外され、「刺客」と呼ばれた公認候補者がその選挙区に送り込まれた。安倍内閣になり郵政選挙で離島した議員の復党が始まったが、その結果同じ選挙区に自民党議員が2名存在する事態になった。そのどちらを公認するか、議員としての生命与奪を決定するポストを古賀氏は要求したのである。
福田首相を譲歩させた古賀氏はいい気分で「国民が求めるタイプの首相が誕生した」と持ち上げたが、福田首相が行う年明けの内閣改造でも押し切ることができれば、イニシアチブは旧主派が握ることができるのである。

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2007年12月16日

大連立の破談と首相辞任

安倍首相辞任劇の2つのトリガー

安倍首相の辞任に、週刊現代の「相続税脱税疑惑」の記事と、「党首会談を呼びかけた民主党小沢代表から会談を断られた」というの背景がある。公式の辞意表明は、党首会談が破談になったことを伝えた自民党国対委員長大島理森氏に対してのものだ。

「相続税脱税疑惑」の記事は安倍晋三事務所の素早い対応により、マスメディアの話題から遠ざけることができた。
もう一つのトリガー、辞任を思い込むほどの党首会談の破談とはどのような内容だったのだろう。
安倍首相の頭から離れなかった事案は、11月1日に期限切れとなるテロ特措法だった。しかし、テロ特措法の延長もしくは新テロ特措法の成立を民主党が認めるはずはない。方法があるとすれば、民主党を与党に取り込むこと、すなわち大連立である。
11月初めの大連立騒動で小沢党首がぐらついたように、大連立は小沢党首をなびかせる甘い罠で、フィクサーは8月に民主党の幹部に大連立の打診をしている。そのとき得た手応えで小沢党首へのアプローチが有効と判断して安倍首相に大連立を提案し、安倍首相がそれに最後の希望をかけたとしたらどうだろう。
だが、風前の灯の安倍内閣なら解散衆院選挙で勝算ありとみた小沢党首は、はなから話にのらなかった。

安倍から福田の急展開の裏に

ここで注目すべきは安倍首相辞任から福田擁立までのすばやい展開である。
フィクサーは、パリにいる森元首相への電話から逆算すると、安倍首相の辞任から7時間半以内に福田氏擁立を取り付けているのである。フィクサーといえども与党の自民党総裁、次期首相候補の情報を集め調整し半日で後継者を擁立するなどということは容易ではない。しかも、電話の内容からは、古賀派、津島派、町村派の幹部クラスの調整ができていることをうかがい知ることができる。
政治家が黙って説得を聞き、そのまま諸手をあげて賛成するなどはありえない。各派閥の領袖、首相経験者に状況を説明をし懐柔するにはそれなりの時間がかかるのは当然である。しかも国会開催中だとはいえ、森元首相のように東京を離れている議員には電話で話をつけなければならない。
しかし、福田氏擁立の大局は12日の午後の間に決まった。13日は党内で最終的な調整を行ったにすぎない。

安倍首相辞任の前に、フィクサーと自民党幹部との間でネゴシエーションが進んでいたとしたらどうだろう。重要なテーマのために会談と電話でのやり取りが密接に行われていれば、連絡を取り合うのに躊躇はいらない。お互いが連絡を待っているからである。では、自民党の重要な幹部に持ちかけ密接に連絡を取り合わなければならない話題とはなんだろう。
安倍首相が辞任の意思を決定的にした党首会談の内容、大連立以上に密接な連絡をとりあう必要がある事案があっただろうか。
当時、大連立構想がフィクサーと自民党幹部との間で進んでいたのであれば、福田氏擁立に関するフィクサーの調整は挨拶抜きで行える状況である。

小泉-安倍-麻生路線と反小泉

12日、麻生太郎幹事長ら執行部が主導して固めた19日投開票案に基づき、総裁選管理委員会が14日公示、19日投票の日程を示す。これに関して、麻生氏が自分の都合に良いように総裁選のスタート時期を設定したとの批判が相次ぐ。さらに党内に安倍首相退陣に関する連帯責任を指摘する声もでて、先行逃げ切りを図る麻生氏への支持は広がりにくい情勢になった。

2006年の総裁選で小泉路線の継承に反対し福田元官房長官を推した中堅ベテランの勢力が、今回も福田氏擁立について動き出す。福田氏が所属する町村派、古賀派、津島派も派内の結束を確認するが具体的な方向は表にはださなかった。一方、前回の総裁選で立候補した谷垣禎一元財務相は派閥の緊急総会のあと「政権転換が必要だ」と麻生氏以外の候補者の擁立を明確にする。

13日付けの各紙は、「麻生幹事長が安倍首相から辞意を最初に聞かされたのは、10日夕の自民党役員会後だった」、さらに「11日昼に官邸で行われた政府与党連絡会議後、首相は再び辞意を漏らした」ことを報じる。午前中の臨時総務会で、14日公示、19日投票の総裁選日程が出されるが反対が相次ぎ、結局午後には投票日を25日にする方向に変わる。短期決戦で総裁選を有利に進めようとした麻生氏に対して、ベテラン議員から「麻生幹事長は2日前に知っていてなぜ辞任を止められなかったのか」と批判が飛び出すなど、一気に反麻生の動きが巻き起こる。

額賀財務相は津島派の総会でいち早く立候補の意向を示したが、同じ派閥の青木幹雄前参院議員会長は距離を置き、額賀氏の地元茨城県連も前回総裁選の麻生氏支持を変えない。谷垣禎一元財務相は谷垣派15人では立候補に必要な推薦人20人に届かないとみて態度を保留する。
町村派では福田元官房長官を推す声がある一方、会長の町村外相を推す声も出た。しかし最後は森元首相が福田氏擁立をまとめる。古賀派も福田氏支持の方向を決め、額賀財務相が出馬を表明した津島派でも青木幹雄前参院議員会長が福田氏支持を決め、参院議員を中心に福田氏支持が広がる。一方、小泉チルドレンを中心とした若手議員から出馬を求められていた小泉元首相は、不出馬と福田氏支持を明言する。
そして、福田氏は町村派会長の町村氏、森元首相と自民党本部で会談し立候補の決意を伝える。麻生氏は記者会見で立候補を表明する意向を示した。

14日、総裁選の告示が行われ、麻生氏、福田氏が立候補を正式表明する。前日、立候補の意向を示した額賀財務相は、派内をまとめきれずに立候補を断念した。
福田氏は、党本部で谷垣禎一元財務相、古賀誠、山崎拓両元幹事長と会談し推薦を依頼、さらに伊吹文部科学相と会い協力を要請する。丹羽・古賀派、伊吹派、谷垣派、高村派は臨時総会を開き福田氏を支持する。さらに福田氏への支持は山崎派、二階派にも広がった。

総裁選は、衆院304人、参院83人の各1票と、都道府県連の各3票の計528票で争われる。
福田氏支持を表明しているのは、町村派(80人)、津島派(67人)、丹羽・古賀派(46人)、山崎派(38人)、伊吹派(25人)、谷垣派(15人)で合計は271人。すべて福田氏支持なら国会議員だけでも過半数となる。伊吹派では何人かが麻生氏支持にまわることを黙認、津島派、丹羽・古賀派でも一部が麻生氏支持に回ると見られるが、福田氏支持は二階派(16人)、高村派(15人)にも広がり優位は揺るぎないものとなった。しかし、渡辺金融相が記者会見で派閥談合による総裁選出を批判するなど、古い自民党の論理による派閥政治への批判も出はじめた。

麻生太郎幹事長は党本部での記者会見で、「候補者が政策発表する前に、派閥推薦が決まるような状態は、派閥レベルの談合密室だとの批判を受けることになる」と述べ、ほとんどの派閥が福田康夫元官房長官の支持を決めたことを批判する。津島派では鳩山邦夫法相が麻生氏を支持し麻生陣営の選対本部長を務めることになる。

15日午前。自民党総裁選の立候補届け出が受け付けられ、福福田康夫元官房長官(71才)と麻生太郎幹事長(66才)が届け出た。

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2007年12月8日

安倍がだめなら福田があるさ

辞任 もうひとつの背景 ---「週刊現代」

12日の夜23時52分に時事通信が「週刊現代の取材に警告 相続税めぐり安倍事務所」という記事を流す。記事の内容は、安倍晋三事務所が講談社発行の週刊誌「週刊現代」から「首相が相続税の支払いを免れた疑いがある」と取材を受けたこと、安倍晋三事務所が「週刊現代に掲載予定の記事はまったく事実に反する。掲載しないよう警告する」とする文書を発表したというものである。

時事通信のニュースとほぼ同時に、安倍晋三事務所から「報道機関各位」向けにファックスが流された。内容は、毎日新聞の12日付夕刊(4版)の、「『脱税疑惑』取材進む」という見出しの「週刊現代が首相の政治団体を利用した『脱税疑惑』を追求する取材を進めていた」という記事により、「安倍首相が脱税疑惑により辞任をしたいう印象を与えている、週刊現代の記事は誤りであり、週刊現代の記事を引用、紹介したら法的処置を取る」という意思を示したものだ。

安倍晋三事務所が発した警告は、週刊現代が出した取材依頼書の「故安倍晋太郎氏から安倍晋三首相への政治遺産の継承で浮上した政治資金と税金に関する疑問点についてお尋ねたい」という質問がトリガーになった。直裁に言えば、「故安倍晋太郎氏から安倍晋三氏への相続にあたり、政治団体をつかって税金逃れを行い相続税3億円を脱税したのではないか」という内容である。

記事が載る週刊現代の発売は9月15日だが、編集途中の記事について報道機関に警告書を出すほど、安倍事務所にとっては重要な問題であったということである。
安倍晋太郎が死んだのは1991年。すでに相続税に関する時効7年は過ぎ時効が成立している。しかし、合法とはいえ政治資金の問題で何人もの閣僚を更迭している安倍内閣で、内閣総理大臣本人が責めを負わずにすまされる問題ではない。
しかし、「報道機関各位」向けのファックスにより、毎日新聞に続こうとした報道機関は浮き足立ち、以後の報道を差し控えることになった。「『週刊現代』に関わってみろ。 一生後悔させてやるぞ!」という安倍晋三事務所の脅しは見事に功を奏したのである。


辞任ニュースは瞬時に過去

理由は何であれ、安倍首相が辞任した後の動きは眼を見張るほどの展開を見せる。
安倍が辞任した9月12日午後2時の2時間後には、古賀元幹事長が福田元官房長官に支援を表明した。
同じ日、パリにいた森元首相は、津島派の青木幹雄前参院議員会長に電話する。青木氏は「福田さんはどうかね。あんたも早く日本に帰ってきなさい」と森氏に答えた。そしてフィクサーから森元首相に「すでに山崎や古賀、青木幹雄は福田支持でまとまっている。残るはあなたの仕事は派内の調整だけだ」と国際電話がかかる。
パリから東京への所要時間は約12時間。東京着9時20分のエールフランスAF276便に乗るなら現地の出発は午後1時20分。フランスと日本の時差は8時間だから、日本時間で12日の午後9時20分に相当する。

麻生氏は10日から安倍首相の辞任を感じていただろうが、官邸で首相に近い与謝野氏、麻生氏と、渡辺恒雄氏とは流れが異なるので、渡辺氏へのリークはこの筋からではないだろう。民主党から党首会談を断られたあと、自民党国会対策委員会の幹部から中川元幹事長など自民党幹部に連絡が行われ、そのまま渡辺氏の知るところになったというほうが自然である。
いずれにせよ福田氏擁立の大勢は、安倍首相が辞任を決めた正午過ぎから森元首相がパリを発つ12日午後9時20分までに決まったということになる。

9月13日の朝、キングメーカーを自認する森元首相は東京に戻り、青木幹雄氏、山崎拓元幹事長とひそかに会談し福田氏擁立を確認する。森元首相の気がかりは、小泉チルドレンが担ぎだそうとする小泉純一郎元首相の再登板と、町村派領袖の町村信孝外相だった。62才の町村外相と会った森元首相は、「エースを温存する」というくどき文句で町村外相を説得する。これを受け、町村外相は福田氏擁立のため町村派の準備を幹部に指示する。昼まで町村信孝氏の擁立を考えていた町村派内では、夜になって福田氏擁立を知り、中堅議員でさえ「昼間まで町村擁立だったのに、いつの間に入れ替わったんだ」と驚いたほどの展開になった。
ねじれ現象に賞賛なしと見る小泉元首相は早々に出馬辞退を宣言し福田支援を表明する。あわよくばと総裁の座を狙おうとした額賀福志郎財務相も周囲に突き放され、早々と出馬を撤回する。

一方、総裁選レースのスタートで飛び出し先行したと思われた麻生幹事長は、一夜にして状況が急変したことを知る。早すぎた態度表明が裏目になり、麻生幹事長が安倍首相を追い込んだという「麻生クーデター説」まで流布されることになった。クーデター説は「辞意は10日に麻生幹事長に話した」と語った安倍首相自身によって打ち消されたが、麻生悪玉説はしばらく消えず、福田元官房長官の総裁選の勝利は完璧なお膳だてができた。

しかし、麻生クーデター説は、後々それを煽った福田陣営に影響を及ぼすことになる。

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2007年12月2日

大連立は9月に一度失敗していた

連立の布石はつぎつぎと打たれた

参院選の前の7月22日、民主党の小沢一郎代表は民放テレビの番組で大連立について、「参院選で与党を過半数割れに追い込んでも、自民党との大連立はあり得ない」と否定した。

7月29日。参院選で与党は自民公明あわせ105議席と惨敗する。民主党は改選非改選議席を合わせ単独で過半数を越える109議席となった。

読売新聞の社説「大連立 民主党も『政権責任』を分担せよ」が掲載されたのは8月16日のことである。ねじれにより国政は長期にわたり混迷する、国政の危機を打開するために自民民主は大連立を組めと檄を飛ばすこの社説で、大連立のシナリオが動き出した。

8月21日、自民党中川秀直幹事長が、「よりよい日本をつくるための改革を考えて与野党が歩み寄ることが(参院選の)民意に応える道だ。謙虚に考えるべきだ」と自民、民主両党の大連立について記者会見で語った。
奇しくもこの日、渡辺恒雄氏は民主党の鳩山由紀夫幹事長と会談する。大連立構想と中選挙区制度の復活を提案したが、鳩山由紀夫幹事長はこれを断った。
鳩山幹事長は党本部で中川幹事長の発言に関する記者団の質問に答えとして、「自民党が参院選で惨敗したから大連立だとの発想には傾かない。選挙で国民の期待をもらったが、『自民党と連立しろ』との発想ではない」と述べて記事となった。

次いで8月22日、渡辺恒雄氏は大連立の仲介者として民主党の小沢一郎代表と会談するが、小沢代表も大連立を否定する。

8月31日、ロイターなどとのインタビューで二階俊博自民党総務会長が「(大連立のために)漠然とした連立・連携を深める努力が必要ではないか。そういうことの積み重ねで、ここまできたら大連立という雰囲気になればいける。基本的には連立を組めれば組んでいきたい」と語った。

9月8日、中曽根康弘元首相と渡辺恒雄氏がTBS番組の収録をする。中曽根氏は「テロ特措法は大連立に持っていくいいチャンス。大連立は民主党が将来政権をとるのにも役立つ」と述べ、渡辺恒雄氏も「(大連立)は野党を含め賛成論のほうが多い。大連立ができる可能性はかなりある」と語った。

政変劇でフィクサー暗躍

9月12日、安倍晋三首相が「小沢代表に党首会談を申し入れたが断られた。党首会談が実現しなければ、私が約束したことが実現しない。残ることが障害となると判断した」として辞任表明をする。
小沢氏は党本部で緊急記者会見し、首相の辞任理由の一つのテロ特措法にふれ、「自民党の政権交代劇で、われわれの考え方が変わることはあり得ない」と、継続反対の方針を変えないことを強調した。これを報じた産経の記事には、民主党幹部の話として「(民主党参加の)大連立はあり得ない。次は暫定内閣だから、(衆院解散で)早期に民意を問うべきだ」という発言がついていた。


9月8日からのシドニーのAPECで安倍首相は体調崩しながらも、精力的に外交を進めた。
ブッシュ大統領、ハワード豪首相との朝食会をはじめ、胡錦濤中国国家主席、プーチン露大統領、ブッシュ大統領との会談など、APECという場を効果的に利用し各国との関係を深めたのだ。
外交舞台は安倍晋三首相にとってなじみの場所である。安倍首相は、父安倍晋太郎の外務大臣時代に秘書官として各国の首脳との折衝をつぶさに接し、頭と体に「外交」が刻み込まれている。
首相就任の直後の10月の訪中では、温家宝総理、胡錦濤国家主席、呉邦国全人代委員長との会談を気後れすることなく進め首相としての力量を示した。もちろんこれは、得意の外交という土俵で実績を上げ、以後の政局を有利に進めようとする布石だった。

APECを去る前の9月9日、安倍首相はアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のシドニー市内のホテルの記者会見で給油活動の継続を「私のすべての力を振り絞って職責を果たしていかなければならない。職責にしがみつくことはない」と強調して、インド洋での給油活動が11月1日以降も継続できなければ総辞職する可能性を述べ強気な姿勢を示した。同時に、民主党の主張を取り込んだ新たな法案の検討を表明し、民主党小沢代表に党首会談を呼びかけた。
日本に戻ればテロ特措法成立の壁が達成不可能な障壁として大きく立ちはだかることになる。
外交舞台で得たエネルギーをかき集めたこの発言は、灯火が消える前の最後の輝きとなった。

9月10日午前6時、安倍首相はシドニーのAPECから帰国する。そして午後の衆議院本会議で所信表明演説に臨み続投の決意を述べたが、参院本会議では原稿の北海道洞爺湖サミットのくだり二行分読み飛ばすという失態を演じた。さらに演説のあと退席するはずだったが安倍首相は首相席に座ったまま動かない。野党からのヤジが飛び、参院の事務次長に促されてようやく席を立った。
その後安倍は自民党役員会に出席したが、「申し訳ありません」とうなだれ気力が失せていた。

安倍首相の小事にこだわる神経質な気質は就任直後から見られたものだ。2006年秋の最初の国会答弁で棒読みを非難されたとき、意気消沈した安倍首相は「おれも最初はそう言われた。めげないで同じことを続けろ」と小泉前首相に慰めてもらっている。さらに、答弁でだんだん早口になり周囲の反応が気になることを塩崎官房長官などの側近に漏らしていた。
党役員会後、国会内の総理大臣室で麻生麻生幹事長に会った安倍首相は、麻生氏に辞意を使えるが麻生幹事長は「このタイミングが悪い。テロ特措法は先の話だ」と慰留した。

9月12日、午前十時から代表質問の準備をしていた安倍首相に、正午過ぎ、前日から党首会談を呼びかけていた民主党小沢代表から会談を断られたと、自民党国対委員長大島理森氏が伝える。大島国対委員長を呼んだ安倍首相はその場で辞意を表明、これを請けた自民党国会対策委員会の幹部は急ぎ野党側に「首相が辞意を漏らしている」として本会議の延期を要請する。そして午後2時、安倍首相は国民に対して首相官邸の記者会見で、政権運営が完全に行き詰まったことを理由に辞任を表明した。
参議院選の歴史的大敗の1ヶ月半後、所信表明演説から2日後のことである。

<続く>
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