「麻生クーデター説」と「福田某略説」
9月15日、総裁選がスタートし、福田氏、麻生氏とも選挙対策本部を設置し選挙運動をはじめる。フライング気味で総裁選を戦おうとした麻生陣営に対し、まず支持を決め後付けで理由を揃える格好になった福田陣営は、8つの派閥の支持を取り付けたことでかつての派閥談合による総裁選に戻ったという印象が拭えない。圧倒的に有利な福田陣営だが「圧勝ムード」を払拭するため各派幹部と連絡を取り引き締めを図る。麻生陣営は街頭演説活動を進め、県連の党員投票で民意を集め国会議員票に影響を与えようとする作戦をとる。16日には、ネットでローゼン麻生とも呼ばれる麻生氏は秋葉原に登場し、駅前ロータリーは演説開始前から盛り上がった。17日には国会議員の213人が福田氏支持を明言した。194票が過半数の議員票で213人は圧倒的である。しかし、片山さつき氏をはじめとする福田氏を支援する若手議員が総裁選直前から流した「麻生・与謝野クーデター説」に対して18日の午後記者会見を開いた与謝野氏は「自民党の将来をかけた総裁選なので、品格のある総裁選をやってほしい。私心なく首相の意図を遂行するのが官房長官の役割。官房長官としての則を超えたことはない。心ない人の宣伝を嘆く」と不快感を示す。さらに、安倍首相自身が麻生氏の「クーデター説」を否定し、麻生氏も、10日から2度にわたって安倍首相の辞意を慰留した経過を日本記者クラブ主催の討論会で明らかにする。これにより、「クーデター説」は逆に「福田某略説」が信憑性を帯びてくる。
出馬宣言前から、町村派、津島派、丹羽・古賀派、山崎派、伊吹派、高村派、二階派、谷垣派の8派閥と69人の無派閥の圧倒的な支持を得た福田陣営だったが、伊吹派や、出馬断念に追い込まれた額賀福志郎財務相がいる津島派から麻生氏支持に態度を変える議員が出はじめる。麻生陣営は選対本部長を務めた津島派の鳩山法相、伊吹派の中川昭一元政調会長、山崎派の甘利明経済産業相、麻生氏の推薦人に名を連ねた古賀派の菅義偉前総務相が支持を得るために奔走したが、それでも福田氏支持の議員票は280票に達すると見られ、議員票だけで過半数を獲得するのは確実と思われた。
都道府県連を抑えられない党本部
両院議員総会の投票を前に、福岡県連、茨城県連が麻生氏に3票を投じることを決めるなど、候補者への支持を表明する都道府県連が現れはじめる。21日、党本部は都道府県連が持つ3票を両院議員総会の投開票前に公表することを禁止する通達をだす。これに対して一部の県連が「県連の独立を侵すもの」と反発する。党本部に対して「県連の結果に左右されるならその国会議員が悪い」「地方から影響を与えるためにこそ公表すべき」「普通の選挙でも指示や推薦を表明するのは当たり前」と指摘する県連幹事長、県連会長も現れ反発から役員一任で麻生氏に3票を投じる県連も現れた。一方、「組織の一員として党本部の指示を遵守すべき」という京都府連、公表の是非が議論になる県連、本部から直接注意を受け事前公表を控える県連など、ゴタゴタは都道府県連に波及する。
23日午後。両院議員総会で党所属国会議員と各都道府県連代表者による投票と開票を行い、自民党総裁選は、福田康夫元官房長官が投票総数528票のうち、議員254票地方76票の330票を得て勝利する。
総裁選圧倒勝利の意味
福田氏には麻生氏に圧倒的な差を付けて勝利する必要があった。小泉内閣の官房長官当時、表向きは年金未納で職を退いた福田氏だが、背景には帰国した拉致被害者の扱いで当時の安倍晋太郎官房副長官との対立があった。当初の北朝鮮との「約束」により拉致被害者を一旦北朝鮮に返すかどうかで、対話重視の福田官房長官の姿勢は北朝鮮よりと批判され、北朝鮮に戻すことに猛反発した安倍官房副長官の意見を小泉首相が取り上げたことは敗北であった。そして18歳も年下の安倍晋三氏は小泉内閣を引き継ぐことになる。
安倍路線の継承となる麻生氏を圧倒的な得票で叩きのめし、安倍首相の「戦後レジュームからの脱却」の否定することこそが総裁選の本当の狙いだった。
しかし大差をつけられた投票と見えるが、麻生氏が獲得した197票のうちの議員票は132票。麻生派16人以外の116票の上積みは、麻生氏への議員票を2桁に抑え麻生氏に引導を渡すと豪語していた福田陣営にとっては衝撃だった。麻生派以外の全派閥の支持を取り付け盤石の大勢で選挙に臨んだはずだったが、安倍・麻生両氏との確執は隠しおおせなかった。さらに派閥政治への警鐘を鳴らし若手議員を説いて回った麻生氏の推薦人となった古賀派の菅義偉前総務相の切り崩しにあい、100票近い議員票を福田批判票として取りこぼす結果になった。
この結果麻生氏は、この総裁選で獲得した議員票を足がかりに麻生派の拡大とポスト福田をうかがえる立場を築くことができたのである。福田康夫を第22代総裁に選出したの自民党両院議員総会終了直後、麻生氏に握手を求めに追いかけた福田氏に応えず麻生氏は演壇を降りる。
25日、第91代の首相に国会で指名され首相となった福田康夫氏は、「背水の陣内閣」と命名する。挙党態勢のイメージ作りのために、総裁選を争った麻生氏に入閣を再三要請するが拒みつづけられる。ついには首班指名の衆院本会議場を出た直後の午後1時半、すれ違った麻生氏に入閣を頼むが最後まで麻生氏は受け入れなかった。麻生氏から再任を求められた津島派の鳩山邦夫法相と山崎派の甘利明経済産業相を再任するが、これにより結果的に麻生氏の影響を受けた人事を行う形になった。そして「背水の陣内閣」は大半が留任と横滑りの人事となる。
55年体制への復古
安倍首相の突然の辞任で混乱した政局は福田氏の総裁選勝利で一段落したが、福田内閣の組閣で表に現れたものが、小泉・安倍政権の元で冷や飯を食わされていた面々が、今までの復讐でもあるかのように声高に主張を通しはじめたことである。24日の党役員人事で、総務会長就任を古賀誠氏に求められた古賀氏は拒絶する。古賀氏が求めたポストは選挙対策委員長の新設だった。従来は幹事長の下の総務局長が幹事長の指示に従って選挙実務を行っていた。この公認権を握る総務局長役を格上げした選挙対策委員長を古賀氏は要求したのである。
小泉内閣の郵政選挙では郵政民営化に反対する議員は公認から外され、「刺客」と呼ばれた公認候補者がその選挙区に送り込まれた。安倍内閣になり郵政選挙で離島した議員の復党が始まったが、その結果同じ選挙区に自民党議員が2名存在する事態になった。そのどちらを公認するか、議員としての生命与奪を決定するポストを古賀氏は要求したのである。
福田首相を譲歩させた古賀氏はいい気分で「国民が求めるタイプの首相が誕生した」と持ち上げたが、福田首相が行う年明けの内閣改造でも押し切ることができれば、イニシアチブは旧主派が握ることができるのである。
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