2007年12月2日

大連立は9月に一度失敗していた

連立の布石はつぎつぎと打たれた

参院選の前の7月22日、民主党の小沢一郎代表は民放テレビの番組で大連立について、「参院選で与党を過半数割れに追い込んでも、自民党との大連立はあり得ない」と否定した。

7月29日。参院選で与党は自民公明あわせ105議席と惨敗する。民主党は改選非改選議席を合わせ単独で過半数を越える109議席となった。

読売新聞の社説「大連立 民主党も『政権責任』を分担せよ」が掲載されたのは8月16日のことである。ねじれにより国政は長期にわたり混迷する、国政の危機を打開するために自民民主は大連立を組めと檄を飛ばすこの社説で、大連立のシナリオが動き出した。

8月21日、自民党中川秀直幹事長が、「よりよい日本をつくるための改革を考えて与野党が歩み寄ることが(参院選の)民意に応える道だ。謙虚に考えるべきだ」と自民、民主両党の大連立について記者会見で語った。
奇しくもこの日、渡辺恒雄氏は民主党の鳩山由紀夫幹事長と会談する。大連立構想と中選挙区制度の復活を提案したが、鳩山由紀夫幹事長はこれを断った。
鳩山幹事長は党本部で中川幹事長の発言に関する記者団の質問に答えとして、「自民党が参院選で惨敗したから大連立だとの発想には傾かない。選挙で国民の期待をもらったが、『自民党と連立しろ』との発想ではない」と述べて記事となった。

次いで8月22日、渡辺恒雄氏は大連立の仲介者として民主党の小沢一郎代表と会談するが、小沢代表も大連立を否定する。

8月31日、ロイターなどとのインタビューで二階俊博自民党総務会長が「(大連立のために)漠然とした連立・連携を深める努力が必要ではないか。そういうことの積み重ねで、ここまできたら大連立という雰囲気になればいける。基本的には連立を組めれば組んでいきたい」と語った。

9月8日、中曽根康弘元首相と渡辺恒雄氏がTBS番組の収録をする。中曽根氏は「テロ特措法は大連立に持っていくいいチャンス。大連立は民主党が将来政権をとるのにも役立つ」と述べ、渡辺恒雄氏も「(大連立)は野党を含め賛成論のほうが多い。大連立ができる可能性はかなりある」と語った。

政変劇でフィクサー暗躍

9月12日、安倍晋三首相が「小沢代表に党首会談を申し入れたが断られた。党首会談が実現しなければ、私が約束したことが実現しない。残ることが障害となると判断した」として辞任表明をする。
小沢氏は党本部で緊急記者会見し、首相の辞任理由の一つのテロ特措法にふれ、「自民党の政権交代劇で、われわれの考え方が変わることはあり得ない」と、継続反対の方針を変えないことを強調した。これを報じた産経の記事には、民主党幹部の話として「(民主党参加の)大連立はあり得ない。次は暫定内閣だから、(衆院解散で)早期に民意を問うべきだ」という発言がついていた。


9月8日からのシドニーのAPECで安倍首相は体調崩しながらも、精力的に外交を進めた。
ブッシュ大統領、ハワード豪首相との朝食会をはじめ、胡錦濤中国国家主席、プーチン露大統領、ブッシュ大統領との会談など、APECという場を効果的に利用し各国との関係を深めたのだ。
外交舞台は安倍晋三首相にとってなじみの場所である。安倍首相は、父安倍晋太郎の外務大臣時代に秘書官として各国の首脳との折衝をつぶさに接し、頭と体に「外交」が刻み込まれている。
首相就任の直後の10月の訪中では、温家宝総理、胡錦濤国家主席、呉邦国全人代委員長との会談を気後れすることなく進め首相としての力量を示した。もちろんこれは、得意の外交という土俵で実績を上げ、以後の政局を有利に進めようとする布石だった。

APECを去る前の9月9日、安倍首相はアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議のシドニー市内のホテルの記者会見で給油活動の継続を「私のすべての力を振り絞って職責を果たしていかなければならない。職責にしがみつくことはない」と強調して、インド洋での給油活動が11月1日以降も継続できなければ総辞職する可能性を述べ強気な姿勢を示した。同時に、民主党の主張を取り込んだ新たな法案の検討を表明し、民主党小沢代表に党首会談を呼びかけた。
日本に戻ればテロ特措法成立の壁が達成不可能な障壁として大きく立ちはだかることになる。
外交舞台で得たエネルギーをかき集めたこの発言は、灯火が消える前の最後の輝きとなった。

9月10日午前6時、安倍首相はシドニーのAPECから帰国する。そして午後の衆議院本会議で所信表明演説に臨み続投の決意を述べたが、参院本会議では原稿の北海道洞爺湖サミットのくだり二行分読み飛ばすという失態を演じた。さらに演説のあと退席するはずだったが安倍首相は首相席に座ったまま動かない。野党からのヤジが飛び、参院の事務次長に促されてようやく席を立った。
その後安倍は自民党役員会に出席したが、「申し訳ありません」とうなだれ気力が失せていた。

安倍首相の小事にこだわる神経質な気質は就任直後から見られたものだ。2006年秋の最初の国会答弁で棒読みを非難されたとき、意気消沈した安倍首相は「おれも最初はそう言われた。めげないで同じことを続けろ」と小泉前首相に慰めてもらっている。さらに、答弁でだんだん早口になり周囲の反応が気になることを塩崎官房長官などの側近に漏らしていた。
党役員会後、国会内の総理大臣室で麻生麻生幹事長に会った安倍首相は、麻生氏に辞意を使えるが麻生幹事長は「このタイミングが悪い。テロ特措法は先の話だ」と慰留した。

9月12日、午前十時から代表質問の準備をしていた安倍首相に、正午過ぎ、前日から党首会談を呼びかけていた民主党小沢代表から会談を断られたと、自民党国対委員長大島理森氏が伝える。大島国対委員長を呼んだ安倍首相はその場で辞意を表明、これを請けた自民党国会対策委員会の幹部は急ぎ野党側に「首相が辞意を漏らしている」として本会議の延期を要請する。そして午後2時、安倍首相は国民に対して首相官邸の記者会見で、政権運営が完全に行き詰まったことを理由に辞任を表明した。
参議院選の歴史的大敗の1ヶ月半後、所信表明演説から2日後のことである。

<続く>
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